『共通のルール』とか『社会のルール』って
ありますよね?
校則とか『なんでそんな事まで?』と思う事、
ありません?
実際要らないルールや
時代に合わなくなったルールを
『守らされる』こともあります。
でも、ルールは、守らなくてもいいもの?
いや、完全に自給自足で、
誰とも関わらない道を選ばない限り、
お互いに気持ちよく過ごすために
ルールは必要だと思います。
例えば、マナーを学ぶと身体の前で手を組む時
(立ち姿の待ちの姿勢の時)
左手を前にするのが正解と教えられると思います。
昔からの礼儀作法として相手に敬意を示す姿勢。
また、身体のバランスが取りやすく
キレイに見えるという説もあります。
(片足を引くモデル立ちと似た理由)
でも某百貨店では、右手を前に組みます。
働いてた時にマナー研修で
『間違えないように』と言われて
『は?おかしくない?』と思いました。
でも、理由を聞いて納得しました。
『お客様に道をお教えする時に、
利き手をスッと美しくだすため。
咄嗟の行動を取りやすくするため。
本来の利き手に合わせると統一感がなくなるので、
人数的に多いとされる右利きに合わせる』とのこと。
百貨店やファッションビルなど
いくつか勤務しましたが、
そのお店ごとにルールは違うけど
それぞれおもてなしの気持ちがあり、
そのルールには理由があります。
わたしは一部協調性なさそうな自由人ですが、
理由に納得すればかならず守るタイプ。
『みんながやってるから』とか
『そういうルールだから』とかなら
『は?こっちのほうが相手のためでしょ?』
みたいに既存ルールはガン無視して
新ルール作っちゃいますが
この百貨店のルールは『へぇ~』って
すぐ身につけようとしました。
(慣れるまではミスも良くしたけどね😅)
社会でも会社でも学校のでも家庭でも
誰かと関わるには必ず共通ルールがあります。
みんな唯一無二の人生のものがたりを作ってるから、
主役同士が主張しあってたからカオス過ぎるから。
お互いに主張するところは主張して
お互いに譲れるところまで譲り合って
新しいルールを作っていくのが
本来の姿だと思います。
わたしが『自分の人生デザインは自分で描く』
と決めたのは15歳の時。
試行錯誤して『いつ死んでもいい』と
思える毎日をやっと積み重ねられるようになるには
10年かかりました。
職場で、家族で、友だちと…。
それぞれのコミュニティで、
わたし自身の居場所を作り、
そこにいる人にも少しでも心地よく感じてもらえたら。
『普通さぁ』『常識的に考えて』は
うちの両親の口癖でしたが、そんなもん、
この世にあるようでないものだと思います。
人の数だけ違った価値観があるんだから。
そんなわたしを『めんどくさい人』と思う人は
このタイミングではご縁のない方だと思うので
無理してわかってほしいとは言いません。
お互い、無理して関わると
相手を嫌いになるだけですし。
嫌いになるとそのまま縁は切れますが、
嫌いになる前に距離を置くと、
違ったタイミングではステキな関係が
築けたりもします。
誰かとの関わりに苦しくなるのなら。
今いるその場所には、
新しいルールが必要なのかもしれません。
変わらない鞏固なルールなら、
あなたはその場所から距離を取ればいいんです。
学校とか会社とか家族とか社会とか
物理的に距離を置くのが難しくても、
心の距離を取ることはできます。
境界線を引くのが難しいときは
私にサポートさせてくださいね☺
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